堀金登山案内人組合から、この度、稲越さん、大山さんの2名が、救助活動の功績により、北アルプス南部地区山岳遭難防止対策協議会より表彰を受けました。
令和元年(2019年)6月5日、協会会長の松本市長より表彰状が手渡されました。
表彰式に際し、表彰者代表として、稲越さんがスピーチをしましたので、ここに本人の承諾の下、その全文を掲載いたします。
—ここから—
表彰者を代表いたしまして御礼のご挨拶を申し上げます。
この度、北アルプス南部地区遭対協の名誉ある会長表彰を承りまして、誠に恐縮至極にございます。
本当にありがとうございました。
私は堀金班に所属の稲越利夫です。
19歳で遭対協のメンバーとなり、20歳で登山案内人の資格を取りました。
独身の頃の10年間は、夏山常駐隊員として涸沢をベースに槍穂高や常念山脈をレスキュー活動やパトロールを行いました。
今では登山ガイドのほかに、三股の登山相談所で春の連休と夏山シーズン、および秋の連休には全国からいらっしゃる登山者の対応を行っております。
ここで昔のエピソードを少し紹介します。
昭和54年の8月、私は槍常駐隊で槍ヶ岳山荘にいた時、山頂で落雷により2名がお亡くなりになり、5名の方が重傷する事故がありました。
当時の山荘支配人の藤原正人さんと共に、チロリアンブリッジで収容した後、あの長い槍沢を無我夢中となり命がけで交代しながらご遺体を背負って横尾まで下りました。
もうひとつは、これもまた槍常駐の時でしたが、北鎌尾根を登ってきた登山者から、「登山靴とザックが置いてあった」という情報が入りました。北鎌尾根は管轄外で北部地区となりますが、特例で確認のために北鎌の現場へ行きました。
靴は揃えてあり、すぐ横にザックがありました。遥か下の天上沢側に、シュラフに入ったままのご遺体を発見し、槍常駐隊が終わって涸沢基地へ戻りました。それから数日後のある日、天気が良かったので布団を屋根に干していると、「今からすぐヘリが来るので北鎌の現場へ飛べ」と先輩から指示がありました。急いで装備をザックに詰めてパイロットの横に乗り込みました。
この時は北部地区のレスキュー隊員も同乗していました。無事に赤モッコにご遺体を収容できたのですが、現場はガスが濃くなって我々レスキュー隊員や東邦航空の整備士はヘリに乗れなくなって、槍を超えて山荘で泊まったというエピソードもございます。
私は遭対協に入って早いもので今年で42年目を迎えますが、関わった現場として悲しいですがご遺体収容が13人、そして嬉しいことに無事救助が約100人を数えます。
この北アルプス南部の山々は日本一人気があり、全国各地から登山者が訪れ、最近では外国の方々も見かけます。
高校では山岳部で涸沢合宿で山のとりこになり、地元に住む者の使命としてこの宝の山々を愛し、情熱を持ってレスキュー活動を行って参りました。
今でも毎年、登山道整備で草刈り機を使った草刈りや、倒木があればチェーンソー持参で倒木処理を仲間で行っております。
三股の登山相談所の当番の時は、「気を付けて行ってらっしゃい」と必ず声掛けを行い、下山してきた方には「良かったらまた来て下さいね」とお見送りしています。
どこかで目にした言葉に、「好きなことを継続すると、やがてそれが仕事になる」というものがございます。残念ですが現実は登山ガイドだけでは食べてはいけません。
私の今後の目標として、生涯現役を目指して、健康管理は言うまでもなく、気分はアスリートのつもりで日々精進していく所存であります。
最後となりましたが、班長をはじめとして、南部地区遭対協の関係者の方々、諸先輩の皆様方に厚く御礼を申し上げ、私の感謝の言葉に代えさせていただきます。
本日は、北アルプス南部地区遭対協、会長の表彰を承りまして、誠にありがとうございました。
令和元年6月5日
表彰者代表 堀金班 稲越利夫